チェンマイ大学での貢献(3):伊藤信孝 チェンマイ大学客員教授・工学部
● ミャンマーの大学との国際交流
近年、民主化に向けて大きく、急速に舵を切りつつあるミャンマーである。2013年末までに刑務所にいる政治犯の全てを開放すると言う大統領の言葉を信じたい。2015年はアジアにとって大きな節目の年である。言うまでもなくAEC (Asian Economic CommunityまたはAU, Asian Union) の設立がそれである。チェンマイ大学工学部もインドネシアやマレーシア、ベトナム、ラオス、カンボデイア、フィリピンの工学系大学を束ね、あるいは参加して設立に向けた動きが活発である。 筆者は今年(2013年)7月18,19日の2日間、学部長の鞄持ちでヤンゴンを訪れ、ヤンゴン工科大学、マンダレー工科大学、並びにミャンマー工学会の要職にある方々と会い、交流指針に向けた打ち合わせ会議参加の機会を得た。そのうちの数人は2012年にもチェンマイ大学を訪れ顔見知りであったが、今回の訪問で同じ方々に会うことが出来るかは半信半疑であった。チェンマイ大学で予め準備した議題・討議事項についてひとつひとつ議論し消化する形で会議は進行した。まずはどのような分野で、どのようなプログラムが協力的に実施出来るのか、またいつ頃から実施が可能か、を見定め合意する必要があった。月並みではあるが、最初は学生間交流、スタッフ交流、相互に関心のある研究テーマでの共同研究、一定期間の後にプロジェクトの進展の度合いを確認し、併せて講演技法や講演資料の作成、相互理解、友好推進の機会をワークショップを開いて確認しレビューする。今回の筆者の役割はNPOも参加した国際ワークショップの開催に向けた"地ならし"でもあった。ワークショップ開催の意義と重要性については既述したが内容的なものに付いても補足説明を加えた。今回のミャンマー訪問で付記したいことは、筆者の存在が次の5つのいずれか、またはそのいくつかの関係で成り立っていると感じたことである。すなわち1)アジア工科大学、2)三重大学、3)3大学国際ジョイント・セミナー・シンポジウム、4)JICA集団研修事業、5)アジア農業工学会、がそれである。ミャンマー工学会の会合で参加者の2名がアジア工科大学の卒業生である事がわかった。また卒業以来10年間も音信不通で顔を会わせることがなかった旧知の三重大学生物資源学部・博士課程卒業生に会うことが出来た。彼は在学時も数回拙宅に招き田植え時期に日本の稲作を見せると言うことで招いた事を本人も明確に記憶している。彼の居場所をミャンマー訪問の前に調査依頼しておいたが、最初は不明で、地方に勤務地が変わったのではとの返事であったが、大学と工学会関係のメンバーを夕食会に招いたメンバーの中に彼の元上司が居て、早々に電話連絡し居場所を突き止めてくれた。潅漑水理(水利)局に居るという情報はそれほど間違っていなかった。夕食会を終えてホテルに戻ると、その彼が愛妻と一緒に筆者の帰りを待っていてくれた。涙が出るほどの感激である。まさかの時を考え、彼のために用意した土産も最初の情報で諦めに変わり、それなら今回判明したアジア工科大学卒業生の2名とヤンゴン工科大学、ミャンマー工学会に各1個づつお礼兼土産として差し上げたいと決心し、元三重大学生の話を交え、その様なことだから持参したプレゼントを皆さんに差し上げたいと話したところ、「彼なら私が知っている」と元上司と名乗る年配の方が名乗り出てくれて事態は急展開し、所在を知ることとなった。ミャンマーではまだまだインフラ整備の必要性があると聴いているし、筆者の唱えるグローバル・テトラレンマの攻略(地球規模の4重苦と称する人口・食料・エネルギ・環境問題の攻略)に果たす農業の役割は計り知れない。アジア経済共同体(AEC (AU))設立に向けた更なる共同プロジェクトを通じて彼の果たす役割の大きいことを期待したい。
近年、民主化に向けて大きく、急速に舵を切りつつあるミャンマーである。2013年末までに刑務所にいる政治犯の全てを開放すると言う大統領の言葉を信じたい。2015年はアジアにとって大きな節目の年である。言うまでもなくAEC (Asian Economic CommunityまたはAU, Asian Union) の設立がそれである。チェンマイ大学工学部もインドネシアやマレーシア、ベトナム、ラオス、カンボデイア、フィリピンの工学系大学を束ね、あるいは参加して設立に向けた動きが活発である。 筆者は今年(2013年)7月18,19日の2日間、学部長の鞄持ちでヤンゴンを訪れ、ヤンゴン工科大学、マンダレー工科大学、並びにミャンマー工学会の要職にある方々と会い、交流指針に向けた打ち合わせ会議参加の機会を得た。そのうちの数人は2012年にもチェンマイ大学を訪れ顔見知りであったが、今回の訪問で同じ方々に会うことが出来るかは半信半疑であった。チェンマイ大学で予め準備した議題・討議事項についてひとつひとつ議論し消化する形で会議は進行した。まずはどのような分野で、どのようなプログラムが協力的に実施出来るのか、またいつ頃から実施が可能か、を見定め合意する必要があった。月並みではあるが、最初は学生間交流、スタッフ交流、相互に関心のある研究テーマでの共同研究、一定期間の後にプロジェクトの進展の度合いを確認し、併せて講演技法や講演資料の作成、相互理解、友好推進の機会をワークショップを開いて確認しレビューする。今回の筆者の役割はNPOも参加した国際ワークショップの開催に向けた"地ならし"でもあった。ワークショップ開催の意義と重要性については既述したが内容的なものに付いても補足説明を加えた。今回のミャンマー訪問で付記したいことは、筆者の存在が次の5つのいずれか、またはそのいくつかの関係で成り立っていると感じたことである。すなわち1)アジア工科大学、2)三重大学、3)3大学国際ジョイント・セミナー・シンポジウム、4)JICA集団研修事業、5)アジア農業工学会、がそれである。ミャンマー工学会の会合で参加者の2名がアジア工科大学の卒業生である事がわかった。また卒業以来10年間も音信不通で顔を会わせることがなかった旧知の三重大学生物資源学部・博士課程卒業生に会うことが出来た。彼は在学時も数回拙宅に招き田植え時期に日本の稲作を見せると言うことで招いた事を本人も明確に記憶している。彼の居場所をミャンマー訪問の前に調査依頼しておいたが、最初は不明で、地方に勤務地が変わったのではとの返事であったが、大学と工学会関係のメンバーを夕食会に招いたメンバーの中に彼の元上司が居て、早々に電話連絡し居場所を突き止めてくれた。潅漑水理(水利)局に居るという情報はそれほど間違っていなかった。夕食会を終えてホテルに戻ると、その彼が愛妻と一緒に筆者の帰りを待っていてくれた。涙が出るほどの感激である。まさかの時を考え、彼のために用意した土産も最初の情報で諦めに変わり、それなら今回判明したアジア工科大学卒業生の2名とヤンゴン工科大学、ミャンマー工学会に各1個づつお礼兼土産として差し上げたいと決心し、元三重大学生の話を交え、その様なことだから持参したプレゼントを皆さんに差し上げたいと話したところ、「彼なら私が知っている」と元上司と名乗る年配の方が名乗り出てくれて事態は急展開し、所在を知ることとなった。ミャンマーではまだまだインフラ整備の必要性があると聴いているし、筆者の唱えるグローバル・テトラレンマの攻略(地球規模の4重苦と称する人口・食料・エネルギ・環境問題の攻略)に果たす農業の役割は計り知れない。アジア経済共同体(AEC (AU))設立に向けた更なる共同プロジェクトを通じて彼の果たす役割の大きいことを期待したい。