チェンマイ大学での貢献(4):伊藤信孝 チェンマイ大学客員教授・工学部
● 国際協力(社会貢献)
・GMS各国を訪ねる
2011年の夏に米国ジョージア大学のグループとGMS (Greater Mekong Sub-region) の4ヶ国 (タイ、ラオス、ベトナム、カンボデイア)を巡る。米国のNSF (National Science Fund)の予算を持つ教授が企画したものでメンバーは米国側が教授を含む3名、タイ側が3~4名(訪問地により参加人数が異なる)で、タイのチェンライから、いわゆる黄金の三角地帯(ゴールデン・トライアングル)と言われるチェンライからメコン河を超えた対岸のラオスを皮切りに一旦チェンマイに戻り、あらためてラオスのビエンチャーンに飛ぶ。 GMS委員会の支部を訪ね説明を聞く。ルアンプラバンに異動した後にベトナムのホーチミン市に入る。カントー大学近辺まで行き、メコンデルタ支流に架かる水門を見てホーチミンに戻る。最初からスケジュールの確認がされてなく、リーダーが人任せで計画はこの地点で頓挫。チェンマイ大学からは筆者ともう学部長、更にもう一人の教授が参加したが学部長は予定の都合上この地点でタイに帰国、最後の訪問地はカンボデイアと言う時になって米国チームは引き上げた。前夜に「ひょっとすると明日のカンボデイアへは貴方と私の2人になるやも知れない」と言っていたタイの教授も旅費の支出は米国の教授が用意していたことがわかり、筆者一人が取り残された。実は前夜の夕食時に教授を含む全員の前で、「訪問先の宛もなく視察をするよりも、しかるべく訪問先の知人に連絡し視察を有益なものにしてはどうか、必要なら知人もいるのでオーガナイズしても良いが如何か」と切りだし同意を得たが、米国の教授は翌朝"帰る"と言い出し自分の予算配下にあるメンバー全員を引き連れ、残りの旅行計画は全てキャンセルして帰国した。タイのもう一人の教授も従わざるを得ず、チェンマイ大の予算で参加している筆者一人が取り残された。急遽カンボデイアの王立農業大学の知人に連絡し予定変更と事情を説明し、一人での訪問に臨んだ。幸い連絡した知人(副学長)のおかげで学部長全員と都合の付く副学長が会議と昼食会をセットしてくれた。昼食後は長距離バスでシェムレアップに向かった。翌朝トンレサップ湖の水環境を見てその日の午後タイに戻った。何が原因で米国の教授がそうした行動に出たのかを推察するに、「今回のチーフは自分であり、自分が金を出して面倒見てやっている。自分に従え」と言う事であろう。メンバーに加わった米国側の2人の若者も、宛もない旅にはうんざりしていたから、何とかならないかとの思いは漏らしていたが、ボスには言えない。訪問先の受け入れの準備と予定がわかっていればより有益な視察ができる。しかしそうしたアレンジはなされていない。目的もなく、自分たちだけで歩いてみても意味はない。気持ちは皆同じだが言い出せない事情があった。しかし教授にしてみればチーフとしての顔が立たない。そこで全員を引きつれ、残りの予定は全てキャンセルとしたと推察する。翌朝ホテルのロビーで荷物を前に何かをしている教授を見つけ、筆者も腹立たしいので「いったい何事ですか」と切り出すと、決まり悪そうに「旅はやめる、貴方の分も必要なら私が負担する」と言う。前夜にチェンマイ大の学部長に電話し「どうも米国の教授がおかしい、ひょっとすると米国チームは引き上げるかも知れないが、自分は一人で残りの予定を消化しても良いか」と許可を得てあったので不安材料はない。「ごたごたは御免である。一人で行くので心配ご無用」と言って一人でカンボデイアに異動した。タイに戻って学部長が今回の旅行に参加した皆を集めて「何事が起こったのか検証する」と言うことで急遽招集され、筆者は説明用PPTを用意し説明した。米国の教授からは筆者に対する陰口が学部長に「・・・・」と書かれ、届いていた。言うなれば「チェンマイ大学が彼のような者をおいておくべきでない、注意せよ」とまで言ったかどうかは推測の域を出ないが気持ちはそう言うところであったのではないだろうか。この話は続きがあり、1ヶ月もした後米国チームとして参加した女性研究者から「教授が自分を首にした、給料もなくなるので困る、誰も今回の事情を説明する者がいないので、何とか助けてくれ!」と言う。急遽こちらの説明会で作成のPPTに説明を加え、人事関係者意外には見せないことを確約してCDで送付した。何とか教授の不当な対応が理解され、首には成らずに別の部門に移った。その後一時、母国ブラジルに戻ったがその後Best Researcher (あるいはScientist?)賞を授賞したそうで、今はNASAの仕事についたとの知らせが入った。米国の教授は旅の最初に訪れたメコン川対岸のラオス訪問でも問題を起こした。例え短時間でも他国に入国したことには変わりはない。困ったことにパスポートは有効だが入国時にスタンプを押す空白部分がなく、一悶着した。このトラブルを自分個人のこととせず「チェンマイ大学にも責任は有るので学長にも言う」等と、とんでもないことを言い出す。こうしたトラブルが他国の空港の入国審査でもあったそうで、このことで2時間もチームは足止めになったと言う。その教授の身分はRegent Professor であった。耳慣れない身分なので調べてみると、学部で約1 %の優秀な教授に与えられる身分的称号だと言う。いずこもエクセントリックな人がいるのは世の常(?)であろうか。リーダーもいいがチーム・ワークが大切と知るべしである。
・メカ川の清掃
河川の水質浄化はチェンマイでも課題の一つである。教員の一人が大々的にその解決に取り組んでおり、学生への環境教育も絡めて対応に奔走している。チェンマイにはピン川と言う川が市内を流れており、いずれはバンコックに行き着くチャオプラヤ川に合流する。その支流でメカ川と言う川がある。町中を流れているさほど大きくない川であるが、浄化の必要に迫られている。現地視察や動員した工学部学生による清掃、あるいは浄化剤の投入に地域を巻き込み展開している。筆者も機会ある度に参加している。特に6月初旬のチェンマイ環境デーには出動である。
・小学校建設
タイの山岳地帯には少数民族が暮らしている事はよく知られている。山岳と言うだけに村にたどり着くにも急な坂道を、しかも鋪装のしてない道路を踏破しなければたどり着けない。雨の降った後などはハンドルを取られ四苦八苦の戦いである。ブレーキを踏んでも道路の表面はぬれているから車は滑り落ちる。中には難民としてタイに逃れてきている人々も含まれている。正確に戸籍がない者も居るようである。そうした状況を考えると国や地方自治体を挙げて公的に予算措置することが難しい。学部長が土木、建築などの関係学科の教員を引き連れて現地視察を行い、設計図を描いて見積もりをする。建設資金は日系企業の財団等から支援を頂く。筆者はこうして2つほどの小学校建設に関わった。関わり方は主として申請書の文書作成、特に日系企業に対しては日本語でのバージョンも用意する。
・国境なき技師団
本事業は米国のコロラド大学のプロジェクトでタイのみ成らず近隣のラオスやカンボデイアでも展開している。小規模の潅漑・排水設備をつくって山岳居住民の生活改善に貢献している。米国の大学生が参加し、ニップルやユニオン、エルボーなどの継ぎ手を組み合わせて塩ビのパイプの配管や敷設、同じ粒径の砂をメッシュの揃った篩いで篩い分け、セメントを混ぜてコンクリートを打設する。現場での実践に重きをおいた社会貢献事業であるこれにチェンマイ大学の学生も加わり協力する。技術的にも、また英語でのコミュニケーションでも実践的効果が大きい。米国の学生との友好、相互理解も推進され効果は大きい。参加学生は必ずしも理系(工学)ではないので、機械の扱いや運転に不慣れな者もいる。使用・運転上の注意などの教授が必要である。筆者は手製のコンクリート・ミキサーの電動機に供給する発電機のエンジン始動と配・結線を実演して見せ、規定の電圧が出力されていることや、メインテナンスやトラブル・シューテイングについても講義した。
・ERASMUS制度に基づくチェコ留学生報告会(図 ⑨)
4名の短期留学終了後の報告会。主としてタイを含むアジアの環境問題を調査して方向書をまとめるのが課題で、コミュニケーション言語は英語。期間的に3ヶ月をチェンマイ大学で、更に1ヶ月をインドネシアの大学で過ごし、最後にチェンマイ大学で報告会をし、修了証書を持って帰国する。
・研究室ゼミ(図 ⑩)
学部長でも最低1科目の講義を負担する事が義務づけられているが、多忙さを考えると極めて大変である事がわかる。研究室に対する認識は筆者の基準で見る限り日本の大学とはかなり違う。どこが違うかというと毎週来ない、メールという便利なものがあるが事前に連絡せずゼミの日に持ってきたりして提出する。時間や期限に遅れる。講義ではこのことを厳しく説明し、時間が全ての者に平等であることを強く説いて他人に迷惑を掛けないよう言っているがなかなか難しい。研究医室とは何をするところかから初めて、研究室に来ないと損をすると言う雰囲気を作りたいと考えている。おもしろいのは、試験が近づくと来週から試験が始まると言うことで研究室に来なくなる。ゼミの日時と試験のそれが重なるのならば頷けるが、試験が始まるからと言う理由で出てこないのはどうしても理解に苦しむ。たかだか1~2時間のゼミの時間を、それほど惜しんで試験勉強をしなければ成らない程に貴重なのかと首をかしげたくなる。
・アリゾナ大学との交流事業参加(図 ⑫)
米国のアリゾナ大学のプログラムで担当教員が10名ほどの学生・院生を引率して約1週間から2週間ほどチェンマイに滞在し、チェンマイ大学の教育・研究施設を見学して学ぶ。特に環境問題に対する研究プロジェクトを見学すると同時に郊外の実情も調査観察し、行われている研究の意味、目的を理解する。また学外での実態に対し自分たちはどうするかを考え、対応を提案して質疑応答に答えるもので基本的に社会科学の専攻生である。そのため提案は出来ても具体的にどのような対応をするかと言う点での深い考察はできない。例えばある解決法を提案しても経済的に、あるいは予算的に、また技術的に可能かどうなのかについてまではプレゼンで見る限り究明していない。 学部長でも最低1科目の講義を負担する事が義務づけられているが、多忙さを考えると極めて大変である事がわかる。研究室に対する認識は筆者の基準で見る限り日本の大学とはかなり違う。どこが違うかというと毎週来ない、メールという便利なものがあるが事前に連絡せずゼミの日に持ってきたりして提出する。時間や期限に遅れる。講義ではこのことを厳しく説明し、時間が全ての者に平等であることを強く説いて他人に迷惑を掛けないよう言っているがなかなか難しい。研究医室とは何をするところかから初めて、研究室に来ないと損をすると言う雰囲気を作りたいと考えている。おもしろいのは、試験が近づくと来週から試験が始まると言うことで研究室に来なくなる。ゼミの日時と試験のそれが重なるのならば頷けるが、試験が始まるからと言う理由で出てこないのはどうしても理解に苦しむ。たかだか1~2時間のゼミの時間を、それほど惜しんで試験勉強をしなければ成らない程に貴重なのかと首をかしげたくなる。 ・アリゾナ大学との交流事業参加(図 ⑫) 米国のアリゾナ大学のプログラムで担当教員が10名ほどの学生・院生を引率して約1週間から2週間ほどチェンマイに滞在し、チェンマイ大学の教育・研究施設を見学して学ぶ。特に環境問題に対する研究プロジェクトを見学すると同時に郊外の実情も調査観察し、行われている研究の意味、目的を理解する。また学外での実態に対し自分たちはどうするかを考え、対応を提案して質疑応答に答えるもので基本的に社会科学の専攻生である。そのため提案は出来ても具体的にどのような対応をするかと言う点での深い考察はできない。例えばある解決法を提案しても経済的に、あるいは予算的に、また技術的に可能かどうなのかについてまではプレゼンで見る限り究明していない。
・GMS各国を訪ねる
2011年の夏に米国ジョージア大学のグループとGMS (Greater Mekong Sub-region) の4ヶ国 (タイ、ラオス、ベトナム、カンボデイア)を巡る。米国のNSF (National Science Fund)の予算を持つ教授が企画したものでメンバーは米国側が教授を含む3名、タイ側が3~4名(訪問地により参加人数が異なる)で、タイのチェンライから、いわゆる黄金の三角地帯(ゴールデン・トライアングル)と言われるチェンライからメコン河を超えた対岸のラオスを皮切りに一旦チェンマイに戻り、あらためてラオスのビエンチャーンに飛ぶ。 GMS委員会の支部を訪ね説明を聞く。ルアンプラバンに異動した後にベトナムのホーチミン市に入る。カントー大学近辺まで行き、メコンデルタ支流に架かる水門を見てホーチミンに戻る。最初からスケジュールの確認がされてなく、リーダーが人任せで計画はこの地点で頓挫。チェンマイ大学からは筆者ともう学部長、更にもう一人の教授が参加したが学部長は予定の都合上この地点でタイに帰国、最後の訪問地はカンボデイアと言う時になって米国チームは引き上げた。前夜に「ひょっとすると明日のカンボデイアへは貴方と私の2人になるやも知れない」と言っていたタイの教授も旅費の支出は米国の教授が用意していたことがわかり、筆者一人が取り残された。実は前夜の夕食時に教授を含む全員の前で、「訪問先の宛もなく視察をするよりも、しかるべく訪問先の知人に連絡し視察を有益なものにしてはどうか、必要なら知人もいるのでオーガナイズしても良いが如何か」と切りだし同意を得たが、米国の教授は翌朝"帰る"と言い出し自分の予算配下にあるメンバー全員を引き連れ、残りの旅行計画は全てキャンセルして帰国した。タイのもう一人の教授も従わざるを得ず、チェンマイ大の予算で参加している筆者一人が取り残された。急遽カンボデイアの王立農業大学の知人に連絡し予定変更と事情を説明し、一人での訪問に臨んだ。幸い連絡した知人(副学長)のおかげで学部長全員と都合の付く副学長が会議と昼食会をセットしてくれた。昼食後は長距離バスでシェムレアップに向かった。翌朝トンレサップ湖の水環境を見てその日の午後タイに戻った。何が原因で米国の教授がそうした行動に出たのかを推察するに、「今回のチーフは自分であり、自分が金を出して面倒見てやっている。自分に従え」と言う事であろう。メンバーに加わった米国側の2人の若者も、宛もない旅にはうんざりしていたから、何とかならないかとの思いは漏らしていたが、ボスには言えない。訪問先の受け入れの準備と予定がわかっていればより有益な視察ができる。しかしそうしたアレンジはなされていない。目的もなく、自分たちだけで歩いてみても意味はない。気持ちは皆同じだが言い出せない事情があった。しかし教授にしてみればチーフとしての顔が立たない。そこで全員を引きつれ、残りの予定は全てキャンセルとしたと推察する。翌朝ホテルのロビーで荷物を前に何かをしている教授を見つけ、筆者も腹立たしいので「いったい何事ですか」と切り出すと、決まり悪そうに「旅はやめる、貴方の分も必要なら私が負担する」と言う。前夜にチェンマイ大の学部長に電話し「どうも米国の教授がおかしい、ひょっとすると米国チームは引き上げるかも知れないが、自分は一人で残りの予定を消化しても良いか」と許可を得てあったので不安材料はない。「ごたごたは御免である。一人で行くので心配ご無用」と言って一人でカンボデイアに異動した。タイに戻って学部長が今回の旅行に参加した皆を集めて「何事が起こったのか検証する」と言うことで急遽招集され、筆者は説明用PPTを用意し説明した。米国の教授からは筆者に対する陰口が学部長に「・・・・」と書かれ、届いていた。言うなれば「チェンマイ大学が彼のような者をおいておくべきでない、注意せよ」とまで言ったかどうかは推測の域を出ないが気持ちはそう言うところであったのではないだろうか。この話は続きがあり、1ヶ月もした後米国チームとして参加した女性研究者から「教授が自分を首にした、給料もなくなるので困る、誰も今回の事情を説明する者がいないので、何とか助けてくれ!」と言う。急遽こちらの説明会で作成のPPTに説明を加え、人事関係者意外には見せないことを確約してCDで送付した。何とか教授の不当な対応が理解され、首には成らずに別の部門に移った。その後一時、母国ブラジルに戻ったがその後Best Researcher (あるいはScientist?)賞を授賞したそうで、今はNASAの仕事についたとの知らせが入った。米国の教授は旅の最初に訪れたメコン川対岸のラオス訪問でも問題を起こした。例え短時間でも他国に入国したことには変わりはない。困ったことにパスポートは有効だが入国時にスタンプを押す空白部分がなく、一悶着した。このトラブルを自分個人のこととせず「チェンマイ大学にも責任は有るので学長にも言う」等と、とんでもないことを言い出す。こうしたトラブルが他国の空港の入国審査でもあったそうで、このことで2時間もチームは足止めになったと言う。その教授の身分はRegent Professor であった。耳慣れない身分なので調べてみると、学部で約1 %の優秀な教授に与えられる身分的称号だと言う。いずこもエクセントリックな人がいるのは世の常(?)であろうか。リーダーもいいがチーム・ワークが大切と知るべしである。
・メカ川の清掃
河川の水質浄化はチェンマイでも課題の一つである。教員の一人が大々的にその解決に取り組んでおり、学生への環境教育も絡めて対応に奔走している。チェンマイにはピン川と言う川が市内を流れており、いずれはバンコックに行き着くチャオプラヤ川に合流する。その支流でメカ川と言う川がある。町中を流れているさほど大きくない川であるが、浄化の必要に迫られている。現地視察や動員した工学部学生による清掃、あるいは浄化剤の投入に地域を巻き込み展開している。筆者も機会ある度に参加している。特に6月初旬のチェンマイ環境デーには出動である。
・小学校建設
タイの山岳地帯には少数民族が暮らしている事はよく知られている。山岳と言うだけに村にたどり着くにも急な坂道を、しかも鋪装のしてない道路を踏破しなければたどり着けない。雨の降った後などはハンドルを取られ四苦八苦の戦いである。ブレーキを踏んでも道路の表面はぬれているから車は滑り落ちる。中には難民としてタイに逃れてきている人々も含まれている。正確に戸籍がない者も居るようである。そうした状況を考えると国や地方自治体を挙げて公的に予算措置することが難しい。学部長が土木、建築などの関係学科の教員を引き連れて現地視察を行い、設計図を描いて見積もりをする。建設資金は日系企業の財団等から支援を頂く。筆者はこうして2つほどの小学校建設に関わった。関わり方は主として申請書の文書作成、特に日系企業に対しては日本語でのバージョンも用意する。
・国境なき技師団
本事業は米国のコロラド大学のプロジェクトでタイのみ成らず近隣のラオスやカンボデイアでも展開している。小規模の潅漑・排水設備をつくって山岳居住民の生活改善に貢献している。米国の大学生が参加し、ニップルやユニオン、エルボーなどの継ぎ手を組み合わせて塩ビのパイプの配管や敷設、同じ粒径の砂をメッシュの揃った篩いで篩い分け、セメントを混ぜてコンクリートを打設する。現場での実践に重きをおいた社会貢献事業であるこれにチェンマイ大学の学生も加わり協力する。技術的にも、また英語でのコミュニケーションでも実践的効果が大きい。米国の学生との友好、相互理解も推進され効果は大きい。参加学生は必ずしも理系(工学)ではないので、機械の扱いや運転に不慣れな者もいる。使用・運転上の注意などの教授が必要である。筆者は手製のコンクリート・ミキサーの電動機に供給する発電機のエンジン始動と配・結線を実演して見せ、規定の電圧が出力されていることや、メインテナンスやトラブル・シューテイングについても講義した。
・ERASMUS制度に基づくチェコ留学生報告会(図 ⑨)
4名の短期留学終了後の報告会。主としてタイを含むアジアの環境問題を調査して方向書をまとめるのが課題で、コミュニケーション言語は英語。期間的に3ヶ月をチェンマイ大学で、更に1ヶ月をインドネシアの大学で過ごし、最後にチェンマイ大学で報告会をし、修了証書を持って帰国する。
・研究室ゼミ(図 ⑩)
学部長でも最低1科目の講義を負担する事が義務づけられているが、多忙さを考えると極めて大変である事がわかる。研究室に対する認識は筆者の基準で見る限り日本の大学とはかなり違う。どこが違うかというと毎週来ない、メールという便利なものがあるが事前に連絡せずゼミの日に持ってきたりして提出する。時間や期限に遅れる。講義ではこのことを厳しく説明し、時間が全ての者に平等であることを強く説いて他人に迷惑を掛けないよう言っているがなかなか難しい。研究医室とは何をするところかから初めて、研究室に来ないと損をすると言う雰囲気を作りたいと考えている。おもしろいのは、試験が近づくと来週から試験が始まると言うことで研究室に来なくなる。ゼミの日時と試験のそれが重なるのならば頷けるが、試験が始まるからと言う理由で出てこないのはどうしても理解に苦しむ。たかだか1~2時間のゼミの時間を、それほど惜しんで試験勉強をしなければ成らない程に貴重なのかと首をかしげたくなる。
・アリゾナ大学との交流事業参加(図 ⑫)
米国のアリゾナ大学のプログラムで担当教員が10名ほどの学生・院生を引率して約1週間から2週間ほどチェンマイに滞在し、チェンマイ大学の教育・研究施設を見学して学ぶ。特に環境問題に対する研究プロジェクトを見学すると同時に郊外の実情も調査観察し、行われている研究の意味、目的を理解する。また学外での実態に対し自分たちはどうするかを考え、対応を提案して質疑応答に答えるもので基本的に社会科学の専攻生である。そのため提案は出来ても具体的にどのような対応をするかと言う点での深い考察はできない。例えばある解決法を提案しても経済的に、あるいは予算的に、また技術的に可能かどうなのかについてまではプレゼンで見る限り究明していない。 学部長でも最低1科目の講義を負担する事が義務づけられているが、多忙さを考えると極めて大変である事がわかる。研究室に対する認識は筆者の基準で見る限り日本の大学とはかなり違う。どこが違うかというと毎週来ない、メールという便利なものがあるが事前に連絡せずゼミの日に持ってきたりして提出する。時間や期限に遅れる。講義ではこのことを厳しく説明し、時間が全ての者に平等であることを強く説いて他人に迷惑を掛けないよう言っているがなかなか難しい。研究医室とは何をするところかから初めて、研究室に来ないと損をすると言う雰囲気を作りたいと考えている。おもしろいのは、試験が近づくと来週から試験が始まると言うことで研究室に来なくなる。ゼミの日時と試験のそれが重なるのならば頷けるが、試験が始まるからと言う理由で出てこないのはどうしても理解に苦しむ。たかだか1~2時間のゼミの時間を、それほど惜しんで試験勉強をしなければ成らない程に貴重なのかと首をかしげたくなる。 ・アリゾナ大学との交流事業参加(図 ⑫) 米国のアリゾナ大学のプログラムで担当教員が10名ほどの学生・院生を引率して約1週間から2週間ほどチェンマイに滞在し、チェンマイ大学の教育・研究施設を見学して学ぶ。特に環境問題に対する研究プロジェクトを見学すると同時に郊外の実情も調査観察し、行われている研究の意味、目的を理解する。また学外での実態に対し自分たちはどうするかを考え、対応を提案して質疑応答に答えるもので基本的に社会科学の専攻生である。そのため提案は出来ても具体的にどのような対応をするかと言う点での深い考察はできない。例えばある解決法を提案しても経済的に、あるいは予算的に、また技術的に可能かどうなのかについてまではプレゼンで見る限り究明していない。