チェンマイ大学での貢献 (19)
伊藤信孝
チェンマイ大学客員教授・工学部
チェンマイ大学に客員教授として招聘を受けて2016年で9年目になる。当初は以前の報告で既述したように、最初は試験的(あるいは見習い的)採用期間を6ケ月程経て制式採用のプロセスを踏んだと理解している。と言うのは最初の6ケ月は無給で手当もなく、支給供与されたのはオフィスと宿舎であり、他は基本的に自前で対応した。
デスクトップやプリンタも備え付けを利用できないわけではなかったが、宿舎でも使いたいとなると、PCもプリンタも自前で用意する方が便利であったので自前で用意した。半年後正式(?)に客員教授の身分を頂き,1年毎の契約更改で今日に至っている。最初は前期に1科目、後期に1科目の講義負担が義務であり、その後3科目に増えたことも一時的にはあった。講義での言語は英語である。国際化に向けて英語での講義を相手大学側も望み、講義する筆者もタイ語での担当は不可能であったから双方にとって好都合であった。しかし聴講する学生がどの程度講義の内容を理解していたかとなると60%とも70%ととも定かでない。タイでは1科目の担当に、30時間を要する。この30時間とは1回の講義が90分でこの授業を30回実施することに相当する。端的に言えば日本の大学の2倍の時間数である。中間試験と期末試験の実施期間が事務サイドで予め決められているが、中間試験は必ずしも試験という形を取らなくてもよく、宿題やレポートで代替することができるが、期末試験は学部一斉に実施を義務付けられているから、やめることはできない。出張が重なると監督ができないから、同僚に代わりを依頼することになるが、試験問題は講義担当が責任をもって作成して委託する。この期間は学部で一斉に期末試験が実施され、試験監督の途中に必ず事務職員が監督に従事しているかを確認に来る。署名して確認が終わるといくらかの手当が現金で手渡される。試験が終わると決められた期日までに評点報告の提出が求められ、その後決められた日時に評点報告会議が学科単位で行われる。その結果が公式に成績証明書 (Transcript) の記述になる。筆者の担当する講義科目の受講対象学生は修士課程で最初は学部生も含まれていたが、現在は修士課程のみが対象となっている。英語での理解度と講義内容を考慮しての対応と考える。その後普通のの講義担当教員から学部長室に隣接し学部長補佐が集まるExecutive 室への移動が告げられ、学部長への Advisory 的な仕事にも加わるよう指示を受けた。そして2014年10 月から研究業務センター (Research Administration Center) へも週に1度詰めるように指示され今日に至っている。このRACでの職務はやはりAdvisory であるが職務内容は紀要の刊行における助言、プロジェクト提案、対外機関との対応など諸々である。また、ここでは週に一度日本語も教えている。対象はすべて事務職員である。にほんごで教えている。したがってオフィスは現在3室を有している。同じチェンマイ大学でもビジネス・アドミニストレーション学部(Faculty of Business Administration) でも年に1度3時間から6時間の日本語についての講義も行っている。内容は日本文化と日常生活、ビジネス・エチケット、マナーなどである。また他大学からの要請で近隣のマエジョ大学ヘは大学院生への論文指導助言(主として書き方)を週に一度午前中を後期に、また特別講演(講義)をカセサート大学で、ラチャモンコン大学へは記念式典での招待講演などの要請があり、ありがたい限りである。また海外の国際会議やシンポジウムにはベトナム、ミャンマー、カンボデイア、ミャンマー、日本、インドネシア、中国などへも公費出張させて頂いている。これらの中には相手機関からの経費丸抱えの招待も含まれている。出席するからには必ず論文発表をすると言う鉄則を維持し、内容には積極的にオリジナルで新しい提案を心がけている。おかげで多くの出版社から論文出版の誘いが増えてきている。このことはそれだけ筆者の書いたものが多くの人の目に触れていることにほかならないと理解している。このことがチェンマイ大学の評価あるいはランキングアップに少しでも貢献すればとの思いである。更なるもう一つの仕事は研究室ゼミに基本的に毎回出席することである。筆者自身の研究室ではないが常に話題提供できる資料を準備し、上司(研究室責任教員)の多忙をカバーする一方、集まってくる学生を決して失望させないよう、また裏切らないよう心掛けている。まさに江戸時代に会津藩家老として藩主の補佐役に徹した保科正之の心境である。本人自信のの能力が基本であるが、かねてより有望視していた学生がタイ政府から奨学金を得てドイツの大学への博士課程留学が決まった。ゼミではスカイプを通じてその学生と研究室の学生とが一緒に近況を話し合っている。彼に続く第2、第3の人材の輩出が次の目標である。「命もいらず名もいらず、官位も命もいらぬ人は始末に困るものなり、この始末に困る人ならでは難難をともにして国家の大業は成し得られぬなり」とは西郷隆盛の名言である。定年退職し一職を終えた筆者のような身となれば、及ばずともこれぐらいの目標を掲げたいと心がけている。 (January 20, 2016)
図1 学生の発表に聞き入る主任教員 図2 研究の進展状況を発表する学生達