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チェンマイ大学での貢献 (20)

伊藤信孝

チェンマイ大学客員教授・工学部

 

  筆者の専門分野である農業工学 (Agricultural Engineering) はチェンマイ大学では従来農学部にあった。日本でも一般的には農学部にあり内容的には農業機械と農業土木が含まれる。しかし大きな大学や一部の大学ではこの2つの領域がはっきりとわかれていて、それぞれの学科を構成しているところもある。米国では農業工学は「工学」という分類から工学部に属している。チェンマイ大学はそうした流れに沿った対応をしたわけである。筆者は本来農業機械を専門とし三重大学では農学部の農業機械学科に籍を置いていた。

大学改組により農学部が生物資源と名称を変えたが工学部への移動と言う段階までの改組には至らなかったが、移動についての話がなかった訳ではない。しかし移動となると一方の学部では学科や構成員が減る事になり、もう一方の学部は増えることになる。生物資源学部では組織が小さくなることへの懸念が、また該当学科では籍を置く教員の将来的な不安、具体的にはその分野での昇格や昇給の不確実性への不安が相まって、結果として学部名称は変わっても学部間の移動はなかった。名称が生物資源となると生物系、化学系の学生が押し寄せ物理系の学生の応募は急減した。これまで円滑に就職できた企業もこの改組に伴うカリキュラムの科目名の急変で内容への理解がついていかず、種々の問題が生じた。内容がそれほど変わった訳ではないのに、新しい分野を先取りした科目名称をわれ先につけて先見性、あるいは斬新性を強調する風潮が他大学でも同じように見られた。農学から生物系学部への名称変化を追う大学改組の動きは多少の時間差はあったが米国では早かった。しばしの時を経て大学改組の波が押し寄せた。さらに農学系では大学院博士課程設置には連合大学院方式が提示された。2~3の大学が連合して博士課程を有し、拠点大学を中心として他の大学の学生が資格認定された教員の研究指導のもとで課程を修了し、学位を取得する方式になった。学科レベルでは異なる専門分野が同じ「生物資源」と言う名称の学科に属することから、本来物理系でない学生の入学後の専攻分けには不満が溜まった。10年後の再改組で結果的に生物・化学・物理系におおまかに分けた対応で何とか落ち着いたが、一時は学生への補講や留年など学科としての対応への問題は多々あった。それはさておき、こうした背景や経緯もあってチェンマイ大学での筆者の所属は農学部あるいは生物資源学部ではなく工学部となったが、一方では在職時からの国際交流事業の立ち上げから長期の事業継続が、主としてチェンマイ大学の工学部をカウンタパートとして実施して来たことが大きな要因でもある。その代表的な事業の一つが「3大学国際ジョイント・セミナー・シンポジウム」で1994年に三重大学が中心となってチェンマイ大学および中国の江蘇大学との間で創設した国際交流事業で、以来現在まで22年間続いている。今後もさらに継続の予定である。

 本節では学際的教育研究 (Inter - disciplinary Education & Research) の重要性について述べるとともに、それをどのように教育として学生に周知徹底するか、現状を踏まえて紹介する。学部や学科といった組織もさることながら教育研究への考え方は個々の教員の判断と理解に大きく依存する。工学部の教員があまり農業に関心を持たないばかりか、その多くが農業を見下す風潮にあることも確かである。社会的にも農業が置かれた斜陽産業としてのイメージと中央政府の長期にわたる生産調整政策が農業衰退を加速して来たことも見逃せない。バイオ・エネルギを研究していても研究者は「農業」と言う言葉は意図的に使わない。中央政府からの補助金や産業あるいは職業としての位置づけが低いことから「農業」という言葉を使うと不利になるという懸念や不安も有るようである。そうすることであたかも自ら行っている研究が農業もしくは農業に関連した分野ではないと強調するかにも見える。研究内容や対象に農産物を使うことに人一倍神経を使い、極端に言うと植物工場は農業でありIndustrial Engineering が対象とする分野ではないと言う考えが出てくる。そうなるともうジリ貧で、どんどんその分野で扱う対象が狭くなる。植物工場といえば農産物の工業的生産と言うことで、まさに Industrial Engineering が対象とすべき研究対象であるが、上記のように理解している教員も少なくない。したがって学生が同様に考えても不思議ではない。スマート・アグリカルチャー (Smart Agriculture) を一生懸命説いても一向に反応がない背景にはそうした一面があることが最近わかった。ひとつの製品開発には学際的知識が必要で、異なる専門分野のエンジニアがチームを形成して対応に当たる。この時異なる専門分野の技術者相互にコミュニケーションができるだけの知識を持つ必要があり、この意味で学際的知識の修得(習得)が求められる。しかし分野を気にして上記のような判断を先にしてしまうと、もはや学際的とは程遠い。直面する問題解決に利用できる知識や技術は、専門分野を超えて如何なるもので対応しても問題はなく、最善の解決策を見出し提案できることが重要である。解決策を探す分野を限定してしまうと問題解決に時間を浪費し、時には当初の目的を達成できなくなる。

 学生を集めて順番にプレゼンをさせると、発表者以外の学生は注意を払わず、私語で話をしたり、スマホやPCで自分の仕事に集中し発表者の話を聞いていない。他の学生がどのようなことをやっているかについての興味や関心が極めて低い。また他人の発表を内容のみならず、発表の仕方や態度、表現法を見て、あるいは聞いて学ぶ姿勢に欠けている。学際的教育が理解されていない例である。筆者は遠慮なく厳しく注意し、姿勢改善への助言を厳しく行っている。少なかった研究室の学生数も徐々に増加し、他人の発表に注意を払う姿勢も一段と改善され、研究室全員への連絡、ゼミでの実施内容の記録保管などアカデミックな雰囲気へと変化してきた。「継続実施と参加」はゼミ参加学生間の相互信頼を高める上でも大きく寄与すると同時に、時間や約束厳守などの社会常識の教授にもなる。その中から博士課程を目指す有能な学生の海外留学者が出てくると、それが益々励みを生む。筆者は次のことを常に強調している。1)継続的に実施すること、2)記録を残すこと、3)常に対応準備ができていること、がその条件である。特に継続実施することには大きな意味があり、高い確立で仕事を成し遂げ、次の仕事をする上で大きな自信をつけることに役立つ。記録は記憶を確認したり重複に基づく無駄を省く。ゼミでは新しい情報をいち早く、また通常の講義では聞けない話題なども積極的に用意準備し、いつでもプレゼンできる体制にある。例えば企業や公的機関への手紙やメールの書き方、特に同封書類または添付書類の説明のためのカバー・レターの必要性とその作法、就職や海外留学に向けたCVの書き方(その例示と留意事項への助言)と準備、時のニュースから話題を取り上げ期限を切って課題として提出を課している。以下の写真はマエジョ大学で開催の学際的教育研究に関するシンポジウムに参加した時の状況を示す。発表の内容は学際的教育の重要性、何故重要か、如何に教育し学生に理解させるか、具体的な概念と実施例を筆者の経験から説いた。さらに追記したいことは、ある学科、または学部を訪れた、あるいは招聘した教員による特別講演y講義についてもその専門分野のみにアナウンスするのではなく、広く学部学科を超え、ウエブサイトやホームページにアップロードして分野を問わず誰もが希望すれば聴講できる環境を作ることが種々の面で効果的である。言うまでもなく学際的という面からも必要であるが、学科、学部、大学としても大学の内外を問わず広報としてアナウンスできるので、企画主催機関のアクテイビテイの評価向上にも寄与する。もちろん主催機関を専門分野とする聴講者の参加出席を優先することは言うまでもないが、対応としては上記のようにすることが学際的と言う教育研究の推進に合致している。自分たちの分野の関係者のみを集めて他は締め出すような対応ではなく、常に広くドアを開け、異分野の専門家ヤ関係者、教員、学生がいつでも参加できる事をシステム化、あるいは義務化するのも一案である。強制的ではないが、このような対応により学際的と言う言葉の意味を広く理解させ、その必要性を説くとともに意識の変革を狙うものでもある。さすれば協調と競争の意識が明確化し、自らの分野に固執することなく問題解決型への即応性、実際問題の明確化とその解法に向けた対応を知る、または知らしめる事ができる。

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図1 開会式を前にしてのひととき   図2 講演発表を終えて証明書を授与される

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