会員活動報告一覧
現地報告:中国少数民族の循環型農業(永井 和夫)
2009年6月に始まったJICAの技術協力プロジェクト「中国涼山州金沙江流域生態環境保全総合開発モデルプロジェクト」に農業技術/生産性向上専門家として5か年間関与し、今年(2013年)6月末に短期専門家としての最後の活動を終了することができました。
チェンマイ大学での貢献(5):伊藤信孝 チェンマイ大学客員教授・工学部
ボランテイアで院生に英語の講義(図 ⑪)
グローバル化」に伴いグローバル言語としての英語の重要性が高まりつつある。英語能力の向上は海外留学を目指す学生にとっては必要十分条件の一つである。特に大学院生にとっては在籍中に1~2度は国際学会での研究論文・口頭発表及び前刷り集への投稿がほぼ必修である。最も重要な事項としては英語でどこまでコミュニケーションが図れるかと言う能力が問われる。
グローバル化」に伴いグローバル言語としての英語の重要性が高まりつつある。英語能力の向上は海外留学を目指す学生にとっては必要十分条件の一つである。特に大学院生にとっては在籍中に1~2度は国際学会での研究論文・口頭発表及び前刷り集への投稿がほぼ必修である。最も重要な事項としては英語でどこまでコミュニケーションが図れるかと言う能力が問われる。
チェンマイ大学での貢献(4):伊藤信孝 チェンマイ大学客員教授・工学部
● 国際協力(社会貢献)
・GMS各国を訪ねる
2011年の夏に米国ジョージア大学のグループとGMS (Greater Mekong Sub-region) の4ヶ国 (タイ、ラオス、ベトナム、カンボデイア)を巡る。米国のNSF (National Science Fund)の予算を持つ教授が企画したものでメンバーは米国側が教授を含む3名、タイ側が3~4名(訪問地により参加人数が異なる)で、タイのチェンライから、いわゆる黄金の三角地帯(ゴールデン・トライアングル)と言われるチェンライからメコン河を超えた対岸のラオスを皮切りに一旦チェンマイに戻り、あらためてラオスのビエンチャーンに飛ぶ。
・GMS各国を訪ねる
2011年の夏に米国ジョージア大学のグループとGMS (Greater Mekong Sub-region) の4ヶ国 (タイ、ラオス、ベトナム、カンボデイア)を巡る。米国のNSF (National Science Fund)の予算を持つ教授が企画したものでメンバーは米国側が教授を含む3名、タイ側が3~4名(訪問地により参加人数が異なる)で、タイのチェンライから、いわゆる黄金の三角地帯(ゴールデン・トライアングル)と言われるチェンライからメコン河を超えた対岸のラオスを皮切りに一旦チェンマイに戻り、あらためてラオスのビエンチャーンに飛ぶ。
チェンマイ大学での貢献(3):伊藤信孝 チェンマイ大学客員教授・工学部
● ミャンマーの大学との国際交流
近年、民主化に向けて大きく、急速に舵を切りつつあるミャンマーである。2013年末までに刑務所にいる政治犯の全てを開放すると言う大統領の言葉を信じたい。2015年はアジアにとって大きな節目の年である。言うまでもなくAEC (Asian Economic CommunityまたはAU, Asian Union) の設立がそれである。チェンマイ大学工学部もインドネシアやマレーシア、ベトナム、ラオス、カンボデイア、フィリピンの工学系大学を束ね、あるいは参加して設立に向けた動きが活発である。
近年、民主化に向けて大きく、急速に舵を切りつつあるミャンマーである。2013年末までに刑務所にいる政治犯の全てを開放すると言う大統領の言葉を信じたい。2015年はアジアにとって大きな節目の年である。言うまでもなくAEC (Asian Economic CommunityまたはAU, Asian Union) の設立がそれである。チェンマイ大学工学部もインドネシアやマレーシア、ベトナム、ラオス、カンボデイア、フィリピンの工学系大学を束ね、あるいは参加して設立に向けた動きが活発である。
チェンマイ大学での貢献(2):伊藤信孝 チェンマイ大学客員教授・工学部
● ホーエンハイム大学との連携講義
チェンマイ大学と関係を有するドイツの大学との関係から、毎年3時間ほどの講義担当を依頼され実施している。いくつかの内容を体系化した中の一部を講義担当している。対象学生はインターナショナルでアジア・ヨーロッパからの留学生で、年度に寄り異なるが全体で10名程度である。
チェンマイ大学と関係を有するドイツの大学との関係から、毎年3時間ほどの講義担当を依頼され実施している。いくつかの内容を体系化した中の一部を講義担当している。対象学生はインターナショナルでアジア・ヨーロッパからの留学生で、年度に寄り異なるが全体で10名程度である。
チェンマイ大学での貢献(1):伊藤信孝 チェンマイ大学客員教授・工学部
● これまでの経緯
2006年3月に三重大学を定年退職した後、公式には2年間工学部のリサーチフェローや国際交流課の客員教授として居候させて頂いていたが、2007年10月から三重大学にそれらの身分を残したままタイのチェンマイ大学からの招聘要請に応じる形でずるずると現在にまでその状況が継続している。当初は永居をするつもりはなかったが、在職時代からの関係もあり1年ごとの契約更改でいつの間にか6年ほどが過ぎた。
2006年3月に三重大学を定年退職した後、公式には2年間工学部のリサーチフェローや国際交流課の客員教授として居候させて頂いていたが、2007年10月から三重大学にそれらの身分を残したままタイのチェンマイ大学からの招聘要請に応じる形でずるずると現在にまでその状況が継続している。当初は永居をするつもりはなかったが、在職時代からの関係もあり1年ごとの契約更改でいつの間にか6年ほどが過ぎた。