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大学放浪記(特別編)

                                   大学放浪記(特別編)伊藤信孝

はじめに

 2024年2月末をもってタイの大学での客員教授の座を降りることにした。振り返れば母校である三重大学(生物資源学部)を定年退職してからほぼ20年弱タイの3つの大学を客員教授として渡り歩いたことになる。いずれの大学も在職時から親交を深め知らぬ間ではない大学である。大学教員としての定年を人生の第1章とするならば、タイの大学での20年近い生活は第2章の終わりと言えよう。

大学放浪記(60)

大学放浪記(60)

伊藤信孝

マエジョ大学客員教授・国際学部

 本報では大学が管理するメール・システムの取扱い、維持管理の相違が大学の機能、評価、学術活動(教育、研究、社会貢献)に与える影響について報告する。特に筆者のように外国人客員教授から見た率直な思いを披露する。タイの大学にどのような形であれ、雇用されるとなるとメールは重要なコミュニケーション・ツール(communication tool)となることは周知である。雇用が決まって最初にしなければならない仕事が大学のインターネットへのアクセスを可能にするユーザーID、メール・アドレス、パスワードの設定である。

大学放浪記(59)

                     大学放浪記(59)

                      伊藤信孝

                 マエジョ大学客員教授・国際学部

 過日、日本の大学の先生から遠隔授業のアナウンスの報を頂いた。近年、タイは高等教育の充実を図るべく、これまで高等職業専門学校レベルの教育機関を格上げして4年制大学とし、さらに大学院(修士・博士課程)を上乗せする方向に動きつつある。上記の先生もその政策に沿って招聘され、主に研究面での推進を担っておられた。筆者もタイの大学に籍を置いていた関係もあり、お知り合いになる機会を得、その後も種々ご指導を頂いている。先生は日本でも著名な旧制帝大の要職にあられたが、定年退職後も上記の任を果たすべく招聘、赴任されていたが、タイの大学の規則で、学長の任期満了で退任されたが、同じ大学の別のキャンパスに移籍された。

                 

大学放浪記(58)

大学放浪記 (58)

伊藤信孝

マエジョ大学客員教授・国際学部

 

 定年退職後2年ほど、在職時の勤務先で2つの身分(工学部社会連携、大学本部国際交流課)をもらい、居候候させて頂いたことはかなり以前に記した。その2年間の半分は、タイの雇用受け入れ先大学の身分と重複していた。したがって、一時帰国は年に1~2度はあったが、大半はタイ在住で大学に身を置いた状態で今日に至っている。もちろんコロナ禍でここ3年半ほどは帰国していない。今日までの長期のタイ在住で見聞してきたことの中で、主として今後の大学改革や教育、研究、社会貢献など、これはと思うことを記録として残し、後世の大学の発展、進展に利用できればと考えてきた。特に、日本でも同じように実施された大学改組に伴う改革では大学の「国際化」と「研究大学」という2つのキーワードが大学生き残りに不可欠になっている。

大学放浪記(57)末尾添付データ追加掲載

https://npoifpat.com/activity-report/57.html

会員活動報告記事;大学放浪記(57)の末尾に添付されております最近の参考文献(残り2点)以下の通り。

大学放浪記(57)

大学放浪記 (57)

 

伊藤信孝

マエジョ大学・客員教授 国際学部

 

過日、学部長がオフィスにきて今日はナイジェリアとの研修プログラムの閉会式があるので出てくれということで参加した。筆者がこれまでの再生可能エネルギ学部を離れて国際学部 (International College) に移籍してから2ケ月しか経っていない。だからこの研修プログラムも熟知していない。例によって急なことではあるが、躊躇している暇はない。時間的余裕もないので手っ取り早くタイの伝統的服を着て出かけることにした。閉会式ということであるから当然公式服装で臨むのが礼儀であり、常識である。常に着替えることができるようにオフィスにはスーツも用意してあるが、時間的に余裕がないときは、手っ取り早くタイの伝統式服装で対応している。素早く着こなして学部長室に出向くと先客があった。名刺を交換してわかったがナイジェリア大使官と大臣であった。公式服装の対応でよかった。

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